コーヒータイム

世の中に思ったことをつらつらと。

本を買うか否かのたった一つの理由

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突然ですが、皆さんにとって「良い本」とは何だろうか。

 

感動を与えてくれる本。

人生の攻略法を教えてくれる本。

共感できる本。

 

 

また、手に取る本によって「良い本」の定義が変わる場合もあるだろう。

 

「良い本」とは

私は、多種多様な本を読む。

小説や新書、最近ではビジネス書をよく読んでいる。

 

このブログでも、いずれは書評を書いてみるつもりだし、できることならシリーズ化したい。

 

そんな私が「お、この本良さそうだな」と感じるのは、

 

 

 

自分とは反対の意見が書かれている時だ。

 

タイトルを見て、もしくは帯を見て「嘘だろ!?」と感じた時、それは私の中で「良い本」の候補になる。

 

購入するか否か、たった一つの検討理由

 

私なりの「良い本」の第一基準が「嘘だろ!?」と感じた時、と書いたが

 

そんなのは書店に入ってしまえば、山ほどある。

 

だからこそ書店は面白い。あそこになら3時間は余裕でいられる…

 

では、そんな「良い本」候補生の中から、どうやって購入するか否かを検討しているか。

 

それは、

 

 

 

目次を見て驚くかどうか

 

たったこれだけである。なぜこれで決めるか。

 

「そこ」には本の全てが書いてある

 

さて、目次とは何だろうか?

 

そう、このページに何が書いてありますよ、といったいわゆる「ネタバレ」を含む項目こそが目次なのである。

 

だからこそ、目次を見て驚かなければその本の内容も驚かない。つまりは、

 

「なんかいいことは書いてあるけど、まあ当然のことを書いてるよね」

 

で終わってしまうのである。だからこそ、目次は絶対に目を通す。

 

「そこ」には本の面白さが詰まっている

 

そして、私が目次で決めるもう一つの理由がこれだ。

 

目次には本の面白さ、もっと言えば著者の面白さが詰まっている。

 

本、もとより書籍とは何だろうか?

私は「文章の集合体」であると考えている。

 

もちろん図解されていたり、イラストが多い本もあるが基本的には文章が大半を閉めるからだ。

 

そう、文章が全てなのだ。文章が面白ければ、その本の面白さは増すし、どんなに驚きの内容でも文章がしっくり来なければどこか面白さが半減した気持ちになる。

 

目次と本文にはある決定的な違いがある。

それは、文字の制限である。

 

当然のことながら、目次には長い文章をつらつらと書き記すことはできない。

それに対して、本文は筆者が思うままに好きな具体例や話を持ち出して好きなように書くことができる。

 

そんな制限された中での目次には、文才が表れる。

 

目次が面白い、または驚く書籍は必ず面白い。